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ミカンの白い筋


最近のこと 長男はコンビニで売ってるようなちょっと大きめのゼリーの食べ比べをしていた

自分の好みを探している様子。

今イチオシのゼリーは、ほぼ確定した。
✧ •̀.̫•́✧
そのゼリーを売ってるスーパーも目星がついてて
「お母さん行く時に買ってきといてくれる?」なんて言うもんだから
「ガッテンだ」
スーパーに行ったついでにぶどう、みかん、桃、グレープフルーツを購入したわけです。

「長男はグレープフルーツを買わないよな・・・」
と思いつつ機械的にゼリーをカゴに放り込んだ(ハイ無意識です)

さて長男のグレープフルーツゼリーへの反応はどうだったかというと・・・

「あんまり好みじゃないかな」

・・・想定内の回答に
私は心中うなずきながら
なぜだろうと話し合う。

「みかんの白いすじの味がする」
1口もらって食べてみたらほのかな苦みが・・・長男はこれが苦手なんだって。

「ほんとだわ~!グレープフルーツの苦みをミカンの白い筋とか、わかりやすいなあ あんたうまいこと言うねぇ」
呑気に笑いつつ
なにかひっかかって考えてみた。

なんでこの子はそんなふうに感じたんだろ
柑橘系好きと思ってたけど そういえばグレープフルーツは喜んだことないな
そういえば白い筋をきれいに取っていたよね(←誰もまねできないくらい)
なんでそんなの食べてたの?
バカなの?(←言い過ぎ)

まてよ、私がなにか言ったか?
あれ?
あれれれ
・・・・・・そうだ私が言った。
みるみる思い出してしまった。

ミカンの白い筋に栄養あるらしいとテレビで聞きかじって食べさせてた犯人はこの私だよ!!
私ときたら、いいことしてたと思って言うてた・・・

20年近くの長きにわたり『ミカンの白い筋を食べる呪い』強いてきた犯人、私なのに
「白い筋たべてるとか物好きな子だねぇ」
とか・・・ありえんㅇㅁㅇ;;


ごめんね
ほんとにごめん
ごめんしか言えなくてごめん

ものすごく謝り倒したかったけど
ほどほどにしといたよ。
大げさになっちゃうのは私の悪いくせだから。

でも、もう忘れない!

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お風呂と私

「温泉が好き」ということが確定したのはあなここに入って4年目の夏

好きだと言っても速攻で実感が伴うものではなく
自分が長いこと欠損してきた『実感』とやらを少しずつ探り続けて今に至る。



以前はお風呂は苦手だとなんとなく思っていた

大人になってからもずっと長風呂苦手
冷え性対策のため半身浴もトライしていたが苦行だった
今はスマホ持ち込んでラジオ聞いたりあれこれしながらあっという間に30~40分は当たり前になった



子どもの頃、母親から
「あんたはカラスの行水やね」と言われていた

母親と一緒に風呂に入ることが多かったと思う

母親の『お風呂入るよ」の一声がかかると断る理由がなくて困っていた記憶がうっすらとある
私の往生際は悪く、母親を待たせて私が後からモタモタと入ることが多かった

待たせることで母親のイライラを溜めていたのも、無意識だけどわかっていたのではないかな

逃げ場のない風呂場で祖母のことで繰り言が始まり
やがて私への小言に変わり、最後にはヒステリックな叱責になるパターンがわかっていて
それが怖かった

母親を待たせたのは
怒られるのが怖かったから行きたくなかったからというのも理由だけど
「怒られても仕方がない」という私の落ち度を作るためというのも
大きな理由のひとつだったのではないかと思う
私に落ち度があれば、怒られるのは私が悪いから仕方がない
という納得ができたのだろう

そんな変換でもしなければ何も悪いことをしていない日まで
風呂場でけちょんけちょんに怒られ、人格否定される意味がわからないと思うのだ

運がよければそそくさと体を洗い湯船に適当に浸かるだけですんだ幸運な日もそこそこ
あったと思う





母との旅行

先月の縦割りの時に母と行った箱根旅行のことを話した。

長い間スッポリ忘れていた記憶だ。

私はあの旅行、楽しかったのだと思う。

順番はよく覚えてないけど、新幹線で東京に行き、東京観光〜箱根富士五湖方面〜日光を回ったような記憶がある。
母は私を新宿末廣亭という寄席に連れて行ってくれた。
私は学校の図書室で借りた古典落語の本に小学四年のときハマって、母に頼んで全巻買ってもらった。

そんなこともあってか母は私を本物の寄席に連れていこうと思ったのだと思う。
トリは昭和の大名人古今亭志ん生の怪談、牡丹灯籠だったような。
母は私を楽しませようと思って寄席のチケットを取ってくれてたのかな。
母はおぼえているだろうか。


私の中では家族旅行はいつもビクビクの針のむしろだった。
でもその時の母との旅行は違っていたのかもしれないとセッションの後思うようになった。

箱根も日光も東京でも、安心できる時間がいつもよりたくさんあったみたい。
でも、
楽しかったはずの思い出を、どうしたらよいのかずっと持て余して悶々とする自分もいるのだ。
旅行から帰った日常はそれまでと変わらず、母を独り占めした旅行でいい気になってたとこから突き落とされたような気がしたからかな。


それでも

   あの時は楽しかった

そんな簡単な一言でいいのに。
その時の楽しさは本当だったろうに。

そんなんじゃ終わらない!収まらない気持ちが大きい。

楽しいかった
なんてオソロシイ言葉を口に出したら
こんなに大変な自分の不幸がその一言で嘘になる、みたいな。
私の人生は全て悲惨な成分でできているのだから。

今もそう思いたい、ずっとそうしていたいのだ私は。
自分の状態、子どもたちのひどい状態をみるに、 そうとしか考えられない。


それを訴え続けたいために、楽しかったことをなかったことにしなければならない。

私が私の子どもと楽しい思い出を持っているはずがない。
子どもたちもそう思っている。

私は私の子どもたちに私と同じ気持ちをわかってほしくて、わからせたくて、

楽しい記憶を楽しかったと言えないようにのしかかり巻き込んできたのだと思う。

子どもたちが私から巻き込まれることから逃げる道がない立場であることを
私はイヤというほどわかっていたはずなのに、自分はやらないやってないと自信満々に
より複雑にやっていた。


だいたい
楽しい=オソロシイ
なんて普通おかしい。
しかし私にはそれが当たり前だった。心からそう思ってきた。
それは私の変さの片鱗だろう。

でもこれじゃ苦しい。このまま時間だけが過ぎていくのは。それこそが悲惨なことだ。


まだ間に合うならば
言ってみようかな。

あの時お母さんと一緒に行った旅行は楽しかった。

だからまた行きたかった。
私も子どもたちと一緒に行ってみたかった。


せいとうか

 

 自分を正当化することを

 私は それは長い長い時間をかけて 学習して練り上げてきたのではないかと思います
 
 私が正当化を主張したくて仕方がないときに使いたいもの

 主に  
     

   原発 戦争 人権 環境  


 などがあげられます

 私は それらの犠牲になった、あるいは現状なっている 

 声なき声や無辜の人々の無念に 時間も空間も超えて想像を膨らませました

 私にとって そこにはやり場のない怒りや悲しみや無念だけがあり

 私はそのことを思うと 体がよじれるような悲しみや無念を
 
 追体験せずにはいられませんでした

 私にとってそれらは『正当な』『公式な』『認められる』悲しみであります

 ある意味 銀河鉄道999に乗るためのパスに似ています
      パスさえあれば機械の体を手に入れることができる永遠の命が得られる
      お腹がすくこともない 寒い思いをしなくていい
      そして 遊びで生身の人間を狩る機械化人に怯えなくていいのだ
 

 それらの悲しみを自分に重ねることでしか自分の痛みを感じることができなかったような感じです

 そうやって自分を慰めたかった 

 わかってほしい、けどそれもあきらめてる、でもあきらめきれないこと
 
 ちょっとでいいからわかってほしかった
 
 ただそれだけなのだと思います

 

 そしていつしか

 待てよ、その悲しみが正当なものである証明をすれば伝わるかもしれない

 「なんていい考えだろう!!」

 膝をポポポポ~~~ンと打ったのではないかと思います

 
 

 
 
 なぜそこまでする必要があったのか

 今は  思ってたよりもずっと明確な理由の積み重ねがあると感じています
 
 ひとつひとつは意味をなさないようなものだけど

 一つずつ手に取って指差し呼称して確認することには意味があるようです

 取るに足らないと思っていたものにも想像以上に暗い影があって

 そこに鬼が隠れているような・・・・ああ怖い

 ところが光を当てて見てみると、ひよこがかくれんぼしていたりして

 見ないようにすることや恐れを抱くことで闇は深くなっていきます

 黒くぬれ!とせっせと暗闇をより暗くしているのは私です


 正当化は

    私なんて意味をなさない取るに足りない何も伝わらない私は無力である
                   ↕
                   ↕
       そんなことないと言ってほしい、こっちを見てほしい

   
 あきらめと希望のどっちにもいけない私の逃げ場だったと思います



 
 

初めて飼った猫のこと

私の母は、父の母親と折り合いが悪く

私の一家は私が2歳の頃から2年か3年の間

駅ひとつ離れたところに家を借りて別居しました。

田んぼの中にポツンと建っていたそれはそれはボロボロの家

トトロに出てくるおうちを和風にしたような感じでした。

今でいうテラスハウスみたいなつくりで

お隣にはおばあちゃん夫婦が住んでいて

隣のおばあちゃんは毎年庭に実ったいちじくをたくさん分けてくれました。

なんにも気にせずお腹いっぱいいちじくを食べてたのを思い出します。

何にも気兼ねすることなく振る舞うことがずんずん不自由になっていった私に

こんな思い出があることが不思議な感じがします。



家の裏には母が趣味でやっていた畑があって

イチゴを育てていたのだけ憶えています。

イチゴにナメクジがついてたのが気持ち悪かった!

お風呂は薪で沸かしてたから、小さな私も薪を割る真似事をしていたのを記憶しています。

5~60センチくらいある木の切り株の台の上に薪を立てて、鉈でカ~~~ン!!

って!!とても爽快だった。

自分ではうまくできてたつもりで得意になってたけど、ほんとはどうだったんだろうな。

うまく割れていたのかな。





3歳くらいの頃だったと思います。猫が迷い込んできました。

私は猫を間近で見るのが生まれて初めてで

「目が怖い」と泣きながら猫から逃げ回っていたみたいです。

(・・・・・書きながら 母の後ろに逃げ込んでいたのを思い出してしまいました)


母と隣のおばあちゃんがその猫のことを話していました。

    「この猫は人なつっこいけん、どこかのうちで飼われとったっちゃろうね」

    「うちの子は(私のこと)猫を観たら怖がって逃げよるとですよ」

結局、猫は家の軒先に居ついてしまい

なんとなく外猫として家で飼い始めたような記憶があります。

名前は、私の姉が“ニャー”とつけたような気がします。(猫の命名権はその後姉が握り続けました)

しかし間もなくその猫は死んでしまいました。

ある朝私が目を覚ますといつもと違うただならぬ雰囲気が漂っていました。

ニャーは夜中のうちに、野犬に噛まれて死んでしまったと聞かされました。

そのことを話してくれたのが母だったのか、父だったのか、姉が一緒だったのか、、、記憶ありません。

ニャーは前の飼い主に爪を切られていたらしく、犬から逃げようと木に登ろうとしたのに登れず

逃げられず噛まれてしまったのだろうということでした。

その時私が感じていたのは

ニャーが死んでしまったことの悲しさだけでなく

犬に噛み殺された!

ということに対する衝撃や恐怖。

遺体は見ていませんが、遺体の悲惨な様子を3歳児なりに頭に浮かべ

犬が襲ってくる恐ろしさ、噛まれる痛みはどんなものか、殺されるってどんなことなのか

3歳なりではありますが想像して、震え上がっていたような気がします。



私はそれまで家にいたニャーが突然いなくなってしまったということを実感できませんでした。

いなくなるってことが不思議で仕方なかった。

私が感じた初めての 喪失感なのだろうかと思います。


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