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ジライが埋まっている

なにげない体の動きや、日常のなかで、ふと感じる違和感・・ていうか

心の奥底に地雷が埋まっているような

その上を知らずに歩いてしまったとたん、地面がグラグラ揺れるみたいな感覚に襲われます

あんまり深いところに埋まってるから、爆発したってめまいを感じるくらいですが

今、うっかり踏んでしまったら

きっと私はバラバラになってしまうでしょう。

だから少しずつ、一歩ずつ、

その場所を探して、耳をすまし

丁寧に歩き、

やさしく掘りおこし、

しっかりと手にとって、

信管を抜いて、

もう爆発することがないように

・・・・そんなふうにできたなら、




もう怖がらなくていいんだろう。

私しか、地雷の場所は知らないから、

だから私が探すのだろう。

一人じゃ足がすくんで動けない。

一人、目を閉じて耳をふさいで悲鳴を上げ続けてるから

私には差し伸べられている手も見えず、そして私を呼ぶ声も聞こえないんだろう。

立ち上がって、周りを見渡して、

一人じゃないことを感じたい。



そう思います。




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# ドアについての覚書

じっくり考えたいことを、忘れないように書いておこう。


ドアを閉められない話。

長男の部屋のドアは常時開放。
次男の部屋は閉じている。
私の部屋も開放状態。
私の子ども頃の過去の部屋も常時開放でした。

そこには監視があるということです。
自分が今までどんなふうに監視してきたのか、残念ですが自覚はできていません。
しかし事実は目の前にあります。

一方、

私の祖母の部屋はぴったりと閉まっていました。

母と姑である祖母は折り合いが悪く、家庭内で祖母は別居状態でした。

祖母とのことは今、少しずつ思い出すことが多くなってきたので、別に書こうと思います。


そして、元夫の部屋もぴったり閉まっていました。

元夫は同棲を始めた頃から、音楽家を夢見て楽器の練習をしてました。

そのため部屋は閉める習慣があったのだと思います。

まあ、閉めてもうるさかったのですが・・・・そのためご近所とのトラブルもありました。

あまり思い出したくない思い出です。

9月の初旬、部屋のドアを閉めるのに違和感を感じることがありました。

その部屋は元夫の部屋で、今は私が勉強部屋にしています。

猫が入ってこないように、部屋のドアを閉めようとしたとき、

祖母の記憶と元夫の記憶がよぎりました。

ひどく気持ち悪い感じがしたのが忘れられません。

その後プチでドアの話が出ました。ドアを閉められない話。監視のこと。


そのときはドアを閉めるときに感じた違和感のこと忘れていたのですが、もやっと気になってます。

子どものころ、自分の部屋のドアを閉められなかった経験がある人は、

結構多いと聞きました。

同様の経験を持つ人とお話したいと思いました。

そのことを忘れないように。

すぐに忘れてどっかいっちゃうから。





私の食卓は・・・

実習中、次男は300円の報酬で夕飯を作ってくれてました。


「俺がやるんだから、さっさと勉強終わらせて早く寝れるようにしたら?」
とリビングから次男に追い出された私。

よし!ご飯のことはすっかりまかせて机に向かって集中していたんですが・・・・・


マナ板で野菜をトントン切る音
食器や鍋がぶつかり合う音
流しの水音
ジュージューおいしそうな炒め物の音

これらの音を聞いていて、そわそわと落ち着かなくなってきました。
「怖い」気持ち。

そういえば夫と別れる前もそうだった。
自分はテレビを見ていて片づけをやってもらうこととか、同じようなそわそわ感があった。
その時はやってもらうこと自体に罪悪感を感じているんだろう、
そう思っていました。

なんで怖いのか。
答えは見えていたのに、なんで気付かなかったのか。

たぶんその期間は祖母と同居するようになった小学校1年生のころから、
大学を卒業するまでの間。

私の家庭の食卓は、母の繰り言・・・祖母に尽くしているのにはねつけられるということ、
自分の純粋さ正しさを語り祖母の冷酷さを言いつのる。
「お父さんはな~んも言わん。ちっとも助けてくれない」
自分だけがつらい、自分だけが我慢して、自分だけが頑張っている。
自分の優しさ、優秀さなどを語り続けた。
じっと下を向いて食事をしていればよかったかというとそうでもなく
そのうち矛先は、ある時は姉、ある時は私に向いて、小言を延々言われたり、
急に怒りだしてわけもわからず怒鳴られていたり、半狂乱で泣き出されたり。
食卓では、息をするのも母に気取られないようにしていた記憶が蘇ってきました。
当時、父は定時制高校の教頭だったからでしょう、夕飯の時はいませんでした。
一緒に聞いていた4歳上の姉も、中学~高校と部活で忙しくなって、
夕食を一緒にとることはほとんどなくなって
そのうち私は母と二人きりで食卓を囲むようになっていました。

台所は1階にあって子ども部屋は2階だったのですが、
母がご飯を作っている音はよく聞こえていました。
それを聞くとそわそわと落ち着かなくなって、用もないのに一階に下りて
テレビを見ながら洗濯物をたたむ手伝いをしてみたり・・してました。

先日プチでこのことをりんりんさんにお話しして
怖いのは音そのものではなく、その後の食卓だったということがわかりました。

普通なら、幸せな家庭の象徴であるような台所の物音が、
ジョーズのテーマ (by・りんりんさん)だったとは・・・・・

あれ、そいいえば私、暖かい団欒など、ついぞ味わったことがなかったんだ。

いままで家族で食卓を囲むことに
居心地の悪さ、違和感を感じていたのはそれだったのか・・・・・。
恥ずかしながらずっと別れたダンナのせいにしていました。







忘れないように書いておこう

私は医療系の専門学校に通っています。
今年になって実習なるものが増えてきたんで、適応力の低下した老体を引きずって毎日を送っています。

ここまでは前置き。

え~と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  私にはとっっても嫌いな同級生の子がいます。

20歳以上年下、息子と同年代の子にどうなんだろうって思ってました。

7月にりんりんさんにお話しした時に「誰と誰の関係に重ねてる?」って聞かれました。

母と私・・・・いまいちピンとこなかったので、

どっちかというと元夫と息子かなあ・・・・って答えました

二人の間でおろおろしてる自分?

いまいちすっきりしないままになっていました。

最近、数日一緒に行動をしなければならない状況になりまして、覚悟はしていたけどそれでもイライラ。

目も合わせたくないのに、同じ空間にいたらその子のことが気になって気になって、仕方がありませんでした。



なんでこんなにイラつくのか・・・
なんでこんなにどす黒い嫌悪感が湧き上がるのか・・・



そんなことをぼんやりと考えていました。

その子を見ていて、私は嫌なものを感じている。

その嫌なものって、

それは


私自身の姿でした。


    おどおどして自信がなさそうな態度
    みんなの動きについて行けない
    言ってることが支離滅裂
    妙なところにこだわる
    会話に加わろうとするけど、ピント外れでおおむねスルーされてしまう
    大事な話を聞いていない
    何を考えているか、表情から読めない

ごまかしをぜ~~~んぶとっぱらった私の姿
必死で隠してきた私の姿・・・彼女に重ねていたようです。


丸裸にされて、認めたくない自分の姿をつきつけられたような、

そんな気持ちだったんだろうと気がつきました。

そんな私はあまりにみじめで、寂しくて、誰にも見せたくなかった、見たくなかった。

・・・でも、あの子と私は同じじゃない。それを忘れるな。あわてるな。

自分に言ってみた。


忘れないように、書いておこう。
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