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もうすぐ卒業


3年間の学生生活がもうすぐ終わりに近づいています。

夫と別れて経済的に自立するためにと通い始めた看護学校ですが

一方で中学や高校時代に周囲と違和感だらけだった私が体験できなかったことの、まさかのやりなおし

楽しいことやびっくりすることドキドキすることなどテンコ盛りのめまぐるしい日々でした

そもそも濃厚に人と関わらないようにしてきた傾向がある私にとって

看護学校の生活は刺激が強くてどうしたらいいかわからない・・・・戸惑うことが多かったと思います

コミュニケーション能力の貧しさの自覚もぶっとばしているせいか

戸惑いも存分にごまかしてきたはずです(~_~;)



理不尽なことも、そりゃいっぱいありました 

  ~~~~なお私、理不尽大好物!
  火のないところに、自分にしか見えない煙をあげてうっとりはたいへんよくできます
  それが周囲との違和感を逃すためであることは、なんとなくわかります

理不尽である。と私が受け取ったものでも、自分の中に根に持ってるものとそうでもないものがあるかな
と考え、分けてみることにしました 

①根に持ってる
  私の表現力がなく相手に全く伝わらなかった

  私が相手の言わんとしていることを外しまくって大スルー!!全く受け取れなかった

  そのためちぐはぐになって、体験を共有できなかった不完全燃焼感・罪悪感
 
それがうらみつらみやガマンとして自分の中に沈殿している

折り合いのつけ方がわからない。それともどこかに八つ当たりしたい!矛先を向けたい!のか・・・・・

自虐に形を変換したりしながら、私はどこにも行かずに執着を続けてるのではないか

執着を続けるため正当化が必要です。
    主に原発を利用することで知られておりまっす・・・社会悪は私を支える脆弱なお守りですから(笑)


②根に持ってない
  一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしながら思う存分話すことができた

  腹が立っても、そのことを一緒に愚痴ったり笑い飛ばして同じ気持ちを感じることができる

  楽しかった うれしかった

  それが自分の安心につながるということを実感した


くすぶってない=執着を感じないところには、一緒に過ごした人たちの存在があるということなのか・・・・

私は 楽しかったことを、「もう一回!」「もっともっと!!」

!!って求める気持ちを、自分の中に確かに感じていたと思います。


誰かと情景を共有すること

学生生活とともに受けてきたセッションを通して

その心地よさを、ひらっとちらっと垣間見た気がしています。

その感覚は私が得た大切なもの。

しかし一方で 逃げもしたい隠れもしたい それなのに自己主張もしてみたい・・・

自分の頑固な壁をこえていかなきゃならない

面倒、しんどい、どうせ私なんかダメだって・・・・

やっぱりうっとりしちゃいますけど(-_-メ)



それでも 今の自分の力で、できることを精一杯やっていこうと思うのであります









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せいとうか

 

 自分を正当化することを

 私は それは長い長い時間をかけて 学習して練り上げてきたのではないかと思います
 
 私が正当化を主張したくて仕方がないときに使いたいもの

 主に  
     

   原発 戦争 人権 環境  


 などがあげられます

 私は それらの犠牲になった、あるいは現状なっている 

 声なき声や無辜の人々の無念に 時間も空間も超えて想像を膨らませました

 私にとって そこにはやり場のない怒りや悲しみや無念だけがあり

 私はそのことを思うと 体がよじれるような悲しみや無念を
 
 追体験せずにはいられませんでした

 私にとってそれらは『正当な』『公式な』『認められる』悲しみであります

 ある意味 銀河鉄道999に乗るためのパスに似ています
      パスさえあれば機械の体を手に入れることができる永遠の命が得られる
      お腹がすくこともない 寒い思いをしなくていい
      そして 遊びで生身の人間を狩る機械化人に怯えなくていいのだ
 

 それらの悲しみを自分に重ねることでしか自分の痛みを感じることができなかったような感じです

 そうやって自分を慰めたかった 

 わかってほしい、けどそれもあきらめてる、でもあきらめきれないこと
 
 ちょっとでいいからわかってほしかった
 
 ただそれだけなのだと思います

 

 そしていつしか

 待てよ、その悲しみが正当なものである証明をすれば伝わるかもしれない

 「なんていい考えだろう!!」

 膝をポポポポ~~~ンと打ったのではないかと思います

 
 

 
 
 なぜそこまでする必要があったのか

 今は  思ってたよりもずっと明確な理由の積み重ねがあると感じています
 
 ひとつひとつは意味をなさないようなものだけど

 一つずつ手に取って指差し呼称して確認することには意味があるようです

 取るに足らないと思っていたものにも想像以上に暗い影があって

 そこに鬼が隠れているような・・・・ああ怖い

 ところが光を当てて見てみると、ひよこがかくれんぼしていたりして

 見ないようにすることや恐れを抱くことで闇は深くなっていきます

 黒くぬれ!とせっせと暗闇をより暗くしているのは私です


 正当化は

    私なんて意味をなさない取るに足りない何も伝わらない私は無力である
                   ↕
                   ↕
       そんなことないと言ってほしい、こっちを見てほしい

   
 あきらめと希望のどっちにもいけない私の逃げ場だったと思います



 
 

現状

このごろ

次男の虫の居所が悪くなり 無言で殺気立つことがあります

それに対して 長男が自分のせいじゃないか、と気にすることが多発してます



今日の午後、次男は無言で台所に立ちホットケーキを作っていました

ただならぬ雰囲気を放ちながら


私と長男は、次男の殺気を察し緊張が走りました

何を怒っているのか、誰かを怒っているのか、わけがわからない感じ。

なにも言えない緊張感。

次男が立ち去った後に

 「俺がさっき言ったことがいかんかったのかな」

絞り出すように長男が言いました

今日 次男が荒れるきっかけはどこにあったのか

少なくとも長男の発言は増悪因子にすぎず、根本原因ではないと思われます

それなのに長男は自分にその原因があると捉えていたのです


長男は いつもわけがわからない状況の中で怯えて

理不尽であることを捻じ曲げて、思ったことを口に出せず 

苦しくても自分を押し殺していた

しかも 自分の落ち度を必死に探しながら です

自分のせいだと思うことで

理不尽な状況の理由を腑に落としてきたのだと思うのです


その一方で 次男がとっている行動は

そうです 私がやってきたこと

私が垂れ流してきた殺気=理不尽な放射能に被爆し続けた結果

コミュニケーション法としてそれを学習して

同時に身を守るために、あみだした技ではないかと推測します



無言で殺気を撒き散らされることがどんなにきついことか

私は次男に殺気を突きつけられて 

頭をぶんなぐられたようにぎょっとしました・・・

いいえ、いままでもずっとそうだったのにスルーしてきただけ

いや、すでにぼこぼこになって血まみれだったのに

全く気付いていなかっただけという感じか


  いいかげんにわかってくれ
  もうかんべんしてくれ
  なにをしたら赦されるの
  たすけて
  ばんそーこ貼ってよ!
 
 
次男も苦しくて苦しくて もがいているのだ と思います




私の虫の居所が悪いとき、その殺気を察し

逃げ場のない家庭の中で

子どもたちはわけのわからない状況を戦々恐々としてきたのだ


  母が何にイラついているのか
  誰に怒っているのか
  何が起こっているのか
  

まったくわからず

ひたすら母親の顔色を窺いながら時間をやり過ごしてきた

重たい記憶だけをぼんやりひきずって

血だるまだったのは

私だったはずなのに

いつのまに

みんな閉じ込めてしまった



それが 私です




初めて飼った猫のこと

私の母は、父の母親と折り合いが悪く

私の一家は私が2歳の頃から2年か3年の間

駅ひとつ離れたところに家を借りて別居しました。

田んぼの中にポツンと建っていたそれはそれはボロボロの家

トトロに出てくるおうちを和風にしたような感じでした。

今でいうテラスハウスみたいなつくりで

お隣にはおばあちゃん夫婦が住んでいて

隣のおばあちゃんは毎年庭に実ったいちじくをたくさん分けてくれました。

なんにも気にせずお腹いっぱいいちじくを食べてたのを思い出します。

何にも気兼ねすることなく振る舞うことがずんずん不自由になっていった私に

こんな思い出があることが不思議な感じがします。



家の裏には母が趣味でやっていた畑があって

イチゴを育てていたのだけ憶えています。

イチゴにナメクジがついてたのが気持ち悪かった!

お風呂は薪で沸かしてたから、小さな私も薪を割る真似事をしていたのを記憶しています。

5~60センチくらいある木の切り株の台の上に薪を立てて、鉈でカ~~~ン!!

って!!とても爽快だった。

自分ではうまくできてたつもりで得意になってたけど、ほんとはどうだったんだろうな。

うまく割れていたのかな。





3歳くらいの頃だったと思います。猫が迷い込んできました。

私は猫を間近で見るのが生まれて初めてで

「目が怖い」と泣きながら猫から逃げ回っていたみたいです。

(・・・・・書きながら 母の後ろに逃げ込んでいたのを思い出してしまいました)


母と隣のおばあちゃんがその猫のことを話していました。

    「この猫は人なつっこいけん、どこかのうちで飼われとったっちゃろうね」

    「うちの子は(私のこと)猫を観たら怖がって逃げよるとですよ」

結局、猫は家の軒先に居ついてしまい

なんとなく外猫として家で飼い始めたような記憶があります。

名前は、私の姉が“ニャー”とつけたような気がします。(猫の命名権はその後姉が握り続けました)

しかし間もなくその猫は死んでしまいました。

ある朝私が目を覚ますといつもと違うただならぬ雰囲気が漂っていました。

ニャーは夜中のうちに、野犬に噛まれて死んでしまったと聞かされました。

そのことを話してくれたのが母だったのか、父だったのか、姉が一緒だったのか、、、記憶ありません。

ニャーは前の飼い主に爪を切られていたらしく、犬から逃げようと木に登ろうとしたのに登れず

逃げられず噛まれてしまったのだろうということでした。

その時私が感じていたのは

ニャーが死んでしまったことの悲しさだけでなく

犬に噛み殺された!

ということに対する衝撃や恐怖。

遺体は見ていませんが、遺体の悲惨な様子を3歳児なりに頭に浮かべ

犬が襲ってくる恐ろしさ、噛まれる痛みはどんなものか、殺されるってどんなことなのか

3歳なりではありますが想像して、震え上がっていたような気がします。



私はそれまで家にいたニャーが突然いなくなってしまったということを実感できませんでした。

いなくなるってことが不思議で仕方なかった。

私が感じた初めての 喪失感なのだろうかと思います。


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