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肉の脂身と「ごめんなさい」のこと

「ごめんなさい」と言えない@@@というか言いたくないことと
私が肉を好きと言えなかったことについて


①肉を好きだと言えないことについて


 私は肉が好きなのに

 肉を好きだと言ってしまうと

   ➡➡肉の脂身を残していると責められる
   ➡➡「肉が好きなら脂身を嫌うなんておかしいじゃないか」
      と言われることに怯え続けなければならない
   ➡➡嫌いな脂身をに残すことが許されなくなるのではないか
   ➡➡私は我慢して脂身を食べるか、肉をもう二度と食べないか
      どちらか選択しなければならなくなるのではないか
   ➡➡以下同様


②ごめんなさいを言えないことについて

   「ごめんなさい」と謝ることを

   自分が悪いことをしたと認めることを

   私はこんな風に思っていました。


   ごめんなさいと謝ってしまうと

   ➡➡私だけが悪い
   ➡➡私だけが歪んでいる
   ➡➡私がひどいことをしてしまった人に対して 違和感を感じても、物言う権利がなくなる
   ➡➡ひどいことをした私は前科者につき
   ➡➡生涯私は許されない 罪人の烙印があるからだ
   ➡➡以下同様延々続く



   
   「そんな馬鹿なことはないやろ~バカじゃなかろか」
   というくらいの上っ面の常識くらい私にだってありますよ

   滑稽なことに(;^ω^)






   ①+②=言いたいのに言わない

   肉を好きだ=ごめんなさい  

   と言ってしまうと

   脂身を嫌うこと=相手に違和感や不快を感じても口にすること

   が許されないのではないか

   言ってはならない恐ろしい言葉の数々

   自分の意思を言ってしまうことは自分を不自由にするのだ!

   だから私は

   嫌いな脂身を食べなくていい自由・脂身を残す自由を守るために
   =訴え続けること・私だって言いたいことあるよ~って気持ち


   を死守するために

   肉を好きだとはっきり言わない
   =ごめんなさい
と言わない

   という策を編み出し

   私は一途に頑固に策を守り続けました。

   それを守っていることの苦しさを訴えることが目的化してるようでもあります。

   悔しいけど終わりにできずにいます。

   私が人にしていることの無神経さを垣間見るこの頃

   私はその策を 人のことなどお構いなく守ってきた残念な自分が恥ずかしく

   私の残念さを痛感します。




   本心を言わないことは気持ち悪く、不自由であるという文脈で考えると

   肉が好き
   =私、悪いかもしれない、いや悪いよ、気まずい。後ろめたい➡苦しいが謝りたい。



   言って、自由に好きなだけ

   自分が感じたことを自由に言いたい。歪んだ制限のない状態で言えるようになりたい


   ということになるのかな、と。


   しかしながら

   肉と「ごめんなさい」の違いはあります。





   


   今 言えるのは、ここまでです。

   
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