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なぜプロセスを忘れるのか

プロセスを忘れるということ。
自分の成長を正当に評価しないのはなぜだろう。


積み重ねてきた行動、人との共有にはプロセスがある。

☞プロセスとは
   :連続した記憶・いいこと悪いこと両方のバランスが取れている。人と感覚を共有した体験の積み重ね。
☞プロセスがない状態とは
   :記憶を断片でとらえていて連続性がないこと。瞬時に主観に入る状態。人との関係性が消えている状態。
    極端にいい記憶や悪い記憶に偏っていてバランスを欠いている。
   ・・・などと考える。
  


1⃣どんな状態なのか

成長や変化は「人」との関わりの中にある。
たぶん人というものは、人との関わりの中で出来上がっていくのだろう。
その原点が母親なのだろうけど、ACはほとんどの場合そこが欠落していると推測される。

私たちは原点回帰的に、つまり「育ちなおし」的に、「人」との関わりを再構築するため
メンバー同士で話しをしたり、オフ会を実施したり日夜涙ぐましい努力をしているわけだが
「プロセスを忘れないでいる=人と共有した喜びや悲しみの連続した記憶を自分の心にとどめておく」
・・・・・ということができない状態をしばしば指摘される。
困難、負荷、不快を感じているはずだが、その感覚も感じないので自覚することすら難しい。
その状態はとても苦しいのに、苦しみから脱けることの方を恐れ、複雑なやり方で抵抗する。
自分の意思で行動しているかのような錯覚は、洗脳状態と似ている。

(※「感じない」感覚:本来人間が持っている生理的感覚→暑い寒い痛い空腹感疲労感。成育歴から人が持っている基本的欲求がわからないという障害を抱えているため、感覚を持ちようがない。寂しい、嬉しいは楽しいは、より高次の欲求)


「一緒にするな」とお叱りをうけるかもしれない。
しかし決して言い過ぎではないと思うがどうだろう。


プロセスを憶えている、わかっているということは
一般的な感覚としては、自分の居場所が確定しているということ。安心感を生むことだ。

ところがそこで不安になる。

「不安な状態が居心地がいいから、なじみの感覚だから」
まあその通りだが、それを自分で言ってしまったら
動かない自分を肯定するための言葉、自己完結に陥る危険な言葉でもあるのではないか
言ってみてそう思うことがある。

回復を望んでいるのに、自分で言った言葉で自分を縛り
まるで動かないことを望んでいるようにも振る舞う。
自分の中でもどちらを望んでいるのかわからない状態。

(→それが人≒子どもを混乱させる)


少しずつかもしれないけれど
自分なりにプロセスの中にあるプラスの側面もマイナスの側面も、昔よりフラットに捉えられるようになってきている
・・・・・・という自分の成長をなぜ受け入れるのが困難なのか。


2⃣なぜそんなことになるのか

客観的に自分の位置をわかること、人の位置をわかることへの抵抗=人と比べることのタブーがある。
(→感覚がフラットであれば何の問題もなくできること)

いい記憶も悪い記憶も同様に確定する、ということは
現在のことだけではなく過去のことも同様にフラットに見えてくる可能性を手にするということだが

⇒過去がフラットに見えてくるということは、現在感じ始めているプロセスと同じように
過去の記憶の連続性の中にも、いい記憶と悪い記憶の両方があること認めざるをえなくなる。

良きにつけ悪しきにつけ、過去と向き合うことを避けては通れない。
(不遇な記憶の鮮明化による悲惨な状態の追体験、フラッシュバック→現在への投影も引き起こされる)

⇒自分の生きづらさの証拠として利用してきた過去の様相が変わってしまうことになるのではないか。
それが幻であっても価値観の大転換を迫られることになる。
一人の人間の、誰にも見えない心の中で起こっていることに過ぎないのに
その心の中で起こっていることは
宇宙観が天動説から地動説に転換した歴史的事件に匹敵するほどの事態になってしまう。



今、生きる喜びを感じて今を生きようとしているということは、
自ずと過去も同様に自分が生きていたことを証明していくことになる。

都合よく過去だけ死んでたことにはならないこと知る。

どちらも掛け値のない現実である。
今が楽になればなるほど、空虚で苦しみだらけの過去は実は今と同様に
連続した記憶のプロセスを持っていること、
いいこと悪いこと両方のバランスが取れていたことや
人と共有した記憶が確かなものであったことを、思い知るのだろう。

なぜプロセスを忘れるのか、なかったことにするのか。
意思を放棄していることが根っこにあるのではないか。

「なぜプロセスを忘れるのか」なんてぶち上げてみたが
結局、はっきりとした答えは簡単に出そうもない。

自分なりに考え続け、動き続けることで
自分を楽にするのがどっちの方向かわかってくるような気がするが
一人では、寄る辺なく足元もおぼつかないものだ。



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